BIG BOREDOM in WWW > BACKUP FILES > ENTRANCE
P-HOUSE TOPTEXT-P / WORKS / D-Pepper / イメージ・キャラクター / INFORMATION
/ OKAZAKI NIGHT / 村上隆マンガ道場

INPUT
OUTPUT

好きだった漫画

 マンガ自体は好きだったんです。少女マンガがスゴク流行した時、少女時代だったんです。でも、家が床屋だったんで、なんか『はぐれ雲』とか『弐十手物語』『やる気マンマン』とか全部読んでたんですよ。『ストップ兄ちゃん』とか『カムイ伝』とか…。そういった意味で“少女マンガ”だけじゃなくて“くそおやじマンガ”とかね、そういうもの読んでたんで…。床屋ってねぇ、いいんだよ。なんか大人の雑誌があるじゃないですか。週間新潮とか、朝日とか、ポストとか文春とか文芸春秋とかあって、スポーツ新聞とかもあったしね。そういうとこで、わりとくだらないものを仕入れたって感じかなぁ。小学生の時とか。美容院とかだったりすると、女性自身とか置いてるから、変なませたガキって感じになるけど。もっとなんかおやじくさい性的な情報が入っちゃってさ。なんかスッポンとかあるじゃん。精力回復とかマムシげんとかそういうのが先に入ってしまってね。週間新潮の黒い報告書とか見て大人の情念を学んだりね。女性自身とかだったら又違ったと思うんだよね。もうちょっとおやじくさい情報に関してあんまり免疫がなかったのかもしんないけど、結構好きだったんですよ。たまにスポーツ新聞のエロ記事とか読むのが…。そういうのがありますけど。普通のおじさんも子供も近所のおばちゃんも来る床屋みたいな感じ。実家も下北です。今度引っ越します。きっぱり。ちょっと離れて、オシャレな原宿に。やだなぁ(笑)。

70年代文化論

 ちょうど私今ぴったり30歳なんですけど、ちょうどコンサバ流行ってたんですよ。コンサバっていうか…。私が短大行ってる頃とか。70年代ってさぁ、76年にはもうすでにセックスピストルズ出てるんだよね、考えてみれば…。70年代テイストとかいってもさぁ、70年代後半って、もうパンクとかニューウェーブでてるんだよね。そう思うと、バネッサ・パラディーじゃないけど、あーいう70年代って実は5年間位しかなかったんじゃないかとかさ、最近やっと気がついて。私、76年には中学生ぐらいで、その後、高校時代って音楽をよく聞いてたんですよ。と同時に世間っていうのをようやく知って、松田聖子とかAORとかフュージョン系の音楽が流行ってて、高中さんとか「ショボイにゃあ」とか思ってて。その頃短大に入って。私の行ってた短大っていうのが、なんか二流のお嬢様学校みたいな感じで、よくポパイの「ナンパするにはこの学校」って感じで載ってたんですよ。跡見なんですけど。一流どころがやっぱ青山とか白百合とか学習院とかだとすると、コンパねらいだと跡見か山脇か英和みたいな感じになって、ゲットされ女がいっぱいいて。で、同時にっていうかサーファーが流行ってて、今だとちょっと分かりにくいけど、レイヤードでブルーのアイシャドーのギャルが並ぶ、みたいな、クソみたいなのが流行ってたんですよ。ウェッジソウルとか、バカにしてたんですけどねえ。世の中、そっちのほうが強いってことが分かったからいいんだけど、その後になんか“DCブランドブーム”“女子大生ブーム”だったのかな、ちょうどおニャン子の前で。その後に“お嬢様ブーム”っていうのがきたんだよね。お嬢様なんていないじゃん。いるけど、大量発生するもんじゃないでしょ。なぜそういった下品なサーファー文化からなのか。だから結局、サーファーとかそういったものってさ、西海岸とかポパイとかあそこらへんのJJみたいなものって輸入もんじゃん。で、輸入したものが結構みんなに浸透したら、今度は日本のドメスティックな伝統みたいの求めて、で結局手に入らないわけじゃないですか、伝統とか血筋とかさ。「それってなんだろう?」と思ったんですけど…。たいしたことなかったですね。ただの商品のゲームの一つだったって感じで。ま、その当時はそういった世の中の動きみたいなこととか、次どう行くかみたいなので、わりあいゲームとしておもしろかったから、なんでだろうと思ったんですけど。ただ、実際はそんなものあるわけないんだから、ただそういうゲームの一つだったとは思う。その次どこに行ったか忘れちゃったけど。

アメリカの伝統

 アメリカ人てさ、基本的にみんな難民じゃないけど、来た人じゃん。ステイタスとかクラースとかないわけですよ、みんな。ポーランドから来た…。一番いいのがセントメリー号、あれに乗った第一陣のピューリタンのイギリス系が一番偉いわけですよね、ワスプの中でも。で、だんだんいろんな人がでてきて、ある程度国が出来たときに、とりあえずでもみんなないわけでしょ、歴史とかさぁ。で、そういうときに何持ってきたかっていうと、やっぱヨーロッパなんだよねえ。土地としてはアメリカっていうのはネイティブなアメリカがつくってきたとこだし、伝統と言えばナホバのあれとかなんだけど。やっぱり文化とかっていうのはヨーロッパでしょ。言語だって英語だし。そういうときに、何かを手本にしたときにブリティッシュトラッドとかヨーロピアンテイストとかいう感じになっちゃうと、そういったものがラルフローレンだったりとか、展開としてあるわけでしょ。そういった構造と近いんじゃないかなあ。だってアメリカにポロ競技やるような貴族なんかいないんだから。でもねつ造するっていうかさ。ラルフローレンとかって結局そういうことだと思うと納得するよね。なんか、アメリカのコンサバ志向をちゃんと、カントリーっぽい、大草原の小さな家以外の伝統も守ってますみたいなことがあるから。

日本文化の秘部

 日本の場合っていうのは、もともとネイティブな人しかいないから、結局文化も別に昔からの裏千家のみたいなのと関係ないから、よくわかんないし、『家庭画報』的な、あーゆう感じになっちゃったんだろうな。なんかとりあえずジャパネスクってことになっちゃって、いい加減なもんですよね。だから私も日本の音楽のことって全然知らなかったんだけど、そのなかでも本当に皇居の中で演奏されるものから、ただ男と女と出会って、刺した刺された心中した、みたいな歌まで、本当にいろんな種類があるんだって。ま、私もよく知らないんですけど。どどいつとかもそうだったりするでしょ。でもわかんないじゃん。全部一緒にネイティブジャパニィーズ伝統芸能みたいなことになっちゃって。そういった意味では、逆に底上げされてるところと、まったく無視されてる部分があるんじゃないかなあ、日本のものとかって。歌舞伎だって結局、ほら江戸時代とか、役者を買ったりとかしてたわけでしょ、金持ちが…。ひいきの役者をさ、ちょっと今晩どう?みたいな感じで…。そういったことは、今は全然ないわけじゃないですか。本当に偉い人ならできるのかもしんないけど。私も全然日本のやつとか知らないし。あと、仏教建築みたいなのも生きてないじゃん、信仰としてさ。古美術なんて。うまく言えないけど、歴史ん中でそういった歪みっていうんじゃないけど、密閉されてる部分があるのではないでしょうか。

批評家不在の漫画文化

 マンガは批評がない、批評家がいない、全然。評価されません、使いっぱなし、使われっぱなし。これは大きいですね。音楽は、音楽についての本とか雑誌とかはありますよね。あとそのジャンルに対する分類とか、ある種、歴史っていうかいろいろあるのかもしれないけど…。マンガは語られる言葉をまだ持ってないんですよ。写真と一緒だけど。写真雑誌いっぱいあるけど、『アサヒカメラ』とか『デジャヴ』とか、写真家のための雑誌みたいなのもあるけど、きちんと写真を評論するような雑誌ってないでしょ。伊藤俊治さんとか、高橋周平さんとか、まだ写真のほうがいると思う。マンガは石子順とか「やだよそんなの」って感じだもんねえ。まだっていうか、これから出てくんのかも。まだ全然芽生えもなけりゃなんにもないよね。もう十分健やかに、表皮は産業としては巨大化してってるけどね。そういった意味では十年後に今の状態をみるとき、なんにもないってことになったりするよ。個別の本があるかもしんないけど、結局絶版になったりとかさぁ。記憶の名作みたいな感じでもう一回再版とかされるかもしんないけど。それとの関係っていうのは全くないんじゃない。その時の歴史がまた再編するのかもしれないけど、だから私なんか全くいない人として消えたりとか。今は全く評価されてない人が評価されたりするのかもしれないし。

少女漫画の変化

 この頃若い子マンガ読まないらしいよ。少女マンガの部数が減ってるし。セーラームーンとかは子供でしょ、ドラえもん的な。思春期のかけだしにさ、社会と自分のずれとか男の子に対するトキメキと性的な恥ずかしさ微妙なグラデーションの時にちょっとマンガ読んだりとかしちゃってたから、そういう時のマンガとかって売れてないみたいよ。「なんでかな」って思ったんだけど、もう答え出てんだ。みんななんか、性的ななんかあれって昔程臆病じゃなくなったんだよ。「あの人が好きなのドキドキー」とかさ。「ちょっと紅い口紅つけて戸惑うのー」みたいなさ。今時ないじゃん、化粧とか、エッチくさい格好とかって戸惑いがあってやってるわけじゃなくて、その方が気持いいし、メリットがあるからやってんでしょ。そういう時に「あの人の為にハイヒール履いてみたのー」とかって無効じゃん。内面が成熟しているとかじゃないところで、性的なことに対するためらいとか、社会に対する自分の違和感みたいなものって、形態が違ってきているような気がする。別にないわけではないと思うんですけど、もっとグチャグチャだと思う。わりあいと少女マンガとかって、相変らずおおざっぱな言い方だけどどう自分の気持ちみたいなものを、異性に(好きな男の子)に、他人に伝えるかっていう葛藤を、どれだけクリアしていくかってものだと思っている。ちょっと酒のんでゲットしてっていうんじゃ情緒っていうのはないでしょ。むしろそうなっちゃうと、付き合った後の話っていうのは、少女マンガにはなかなか描かれてないから、それはまた別のところにいっちゃうんじゃないかな。少女マンガって、いかに他人と付き合ったりとか、他人と自分の折り合いをつけていくかっていう作業だと思ってたから、そこら辺のことって女の子のなかで変わってるんじゃないかなって気がしました。どうなんですか今の少女マンガって。SEXいれないと今読めないし、描けないでしょ。私は読んでないからこういう言い方しちゃうけど、昔の少女マンガは、萩尾さんとか、自分のなかの女性性とか性的なものがいやなわけ、それだったら少年愛とかエスパーとかあっちにいっちゃうってパターンだったから。少女マンガってすごいパワーとかあるんだけど、大人の男の人が読まないものって批評がないんだよね。読まないと知られないから。世の中大人の男の人が読まないものってないんだよ。萩尾望都とかがなにか言われるっていうのも、大人の男の人が読んでいるからなんだよ。だって、私すごい好きな少女マンガ家の女の子で冬野さほっているけど、誰も読んでないから誰も知らないよ。女の子のやな感じとかすごい上手なんだよ。わたしみんなに進めてるんだけど、男の子とかみんな分からないって。まあ「これが分かったらやだな」っていうのがあるけど。

一番知りたいこと

 今私が一番好きなマンガは、少年ジャンプで連載やってる『地獄戦士魔王』ってやつ。最高に面白いよ。月曜日が待ち遠しいとはこのことだよ。珍遊記漫画太郎と、鳥山明が出てきた時のような衝撃を受けたもんね、第一回。登場人物の、いつも「キャーキャー」言ってる女の子が好きなの。影響受けちゃったもん、久しぶりにわたし芸風変わったもん。この漫画で。<大小の記号も使うようになっちゃったし。あと、今一番気になってることは、この『地獄戦士魔王』を描いてる苅部誠っていう人と、この、周さんの料理のハウツー本『周富徳の究極中華虎の巻』のイラストを描いた人が同一人物じゃないか、っていうこと。わたしたまたま周富徳のファンで買ったんだけど。なんか芸風が似てない?ギャグの入れ方とか、女の子描くのあんまり上手じゃないとことか。誰か知ってる人がいたら教えて下さい。

●ここに掲載するテキストは、月刊で刊行されている「PEPPER SHOPvol,13 岡崎京子号」に掲載されたものを引用させて頂きました。