秋田敬明 AKITA TAKAAKI
プロデューサー
1964年生まれ。
ニューヨークにて福島輝彦らとともにT・T・PARTYを結成。一年間滞在中さまざまなスペースでパーティーを企画。映画のプロデュースを開始。
帰国後、フィルム、ダンス、パフォーマンスなどのコラボレーションによる「PARTY」というイベントを発表。
以下プロデュース作品の一部。
1989年 | 「PARTY」(東京大学内美術室) |
1990年 | ブルース・ウイリアムス写真展(ラフォーレミュージアム飯倉) |
1992年 | ドイツ・カールスルーエ・フルムフェスティバル、日本キュレーター |
1993年 | オランダ・ロッテルダムフルムフェスティバル「猫耳」出品 マラリアアートショウ開始(vol,1-vol,9) Z ART PRODUCTION(加勢大周字プロジェクト)開始 |
1994年 | ギャラリー「P-HOUSE」創設(3月) ミヤギサトシ「ク・ナウカ」公演、(ベニサンピット)(8月) USA・アトランタ、三井クローズアップジャパン参加(9月) USA・ニューヨーク「ク・ナウカ」公演(10月) |
1995年 | ドイツ。世界現代音楽際、日本側プロデューサー(6月) |
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私は今、とても良い気分です。
これはたいへん重要なことです。
それまで自分らが暮らしていたマンションの一室が、多くの方のご理解と暴走癖によって、まったく新しいタイプのスペースに生まれ変わりました。壁も床も天井もアタマの中も、まっしろです。もう、あとの祭りです。そして、祭りはこれからまだ続くのだと思うと、興奮して夜も眠れません。
一歩外に出れば、さらわれてしまいそうな渋谷の雑踏の中で、私は今、できたてのファクトリーに住んでいます。
「アートのある生活」というと胡散臭くなりますが、「生活者不在のアート」は無意味です。殺菌室の様な美術環境から生まれた消毒済みの作品には、人の心を突き動かすパワーはありません。モノを創る楽しみと困難への挑戦を忘れ、専守防衛の理論武装にこりかたまった多くの現代美術は、人間の魂とは無関係です。「触れられる事を拒絶した芸術」からは、何も伝わってきません。アートは、「街のさらしもの」になってはじめて、リアリティを獲得し、観る者に力を与えるのではないでしょうか。
プロジェクト・ルーム「P-HOUSE」は、愛すべきアーティストたちと、好奇心旺盛な観客達が、刺激ある逢瀬を重ねるための「フランクな連れ込み宿」でありたいと思っております。「ご休憩」を基本にしていますが、「お泊まり」も辞さずの覚悟です。権威づけされた敷き居の高い空間や、他者を排除する閉鎖的な論理に作品を押し込めるのではなく、都市の一部として発酵していくエキシビジョンの形を追求し、花も糞もあふれた東京のど真ん中で、気合いのはいったアーティストたちの作品を、できるだけ多くの方に観てもらいたい……スタッフ一同、心よりそう願っています。
まずは御高覧。
こけら落としとして、「マンガ」をひっさげた岡崎京子さんが、しなやかな火花を散らします。
そして、その後に予定されている3つのプロジェクトまでを1クールとし、「P-HOUSE」は海外へと展開いたします。現地でのアプローチはすでに進行中です。東京は渋谷区宇田川町から世界の都市へと飛び火するニューモード。どうぞ、御期待下さい。
P-House代表 秋田敬明